大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)7067号 判決 1969年11月10日
原告
山中繁之
外一名
代理人
山本寅之助
外四名
被告
大進自動車工業株式会社
代理人
本井吉雄
外一名
主文
一 被告は原告山中繁之、同山中冨代に対し各金九〇万円および右金員に対する昭和四二年一二月二九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
一 原告らのその余の請求を棄却する。
一 訴訟費用はこれを六分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。
一 この判決の第一項は仮りに執行することができる。
第一 原告の申立
被告は原告山中繁之、同山中富代に対し各金五六一万三、八〇〇円および右各金員に対する昭和四二年一二月二九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え
との判決ならびに仮執行の宣言。
第二 争いのない事実
一、本件事故発生
とき 昭和四一年一〇月三日午後九時三〇分ごろ
ところ 大阪市福島区大開町一丁目一六八番地先交差点
(南北路の幅16.5メートル、東西路の幅員八メートル)
事故車 第一種原動機付自転車(大阪市生、一五六四一号)
運転者 訴外村山幸雄
被害者 訴外亡山中鉄司
態様 右交差点において南北路を南進してきた普通乗用車に、東西路を西進してきて右折しようとした事故車が出合頭に接触して転倒し、事故車に同乗していた被害者が投出されて即死した。
二、事故車の運行関係
被告会社は、本件事故車の所有者であり、かつ訴外村山の使用者である。
三、被害者の権利の承継
原告らは、被害者亡鉄司の父母であり他に相続人はないので、被害者の権利を各二分の一づつ相続した。
四、損害の填補
原告らは、本件事故につき、自動車損害賠償保険金一五〇万円、本件事故の相手方である前記普通乗用車の保有者訴外大阪観光バス株式会社から和解金一〇〇万円の各二分の一宛各一二五万円を受領した。
第三 争点
(原告らの主張)
一、責任原因
被告は、前記第二の二の事実(事故車の所有)により、事故車の運行供用者として、自賠法三条に基づき、原告らに対し、後記損害を賠償する義務がある。
仮にこれが認められないとしても、民法七一五条による右同様の損害賠償義務がある。すなわち、本件事故は、前記村山が、被告会社の事業(自動車修理業)の執行中に惹起したものであり、かつ同人には、事故車の運転者として、自車の運行している道路よりも幅員の明らかに広い道路との前記交差点に進入右折するに際し、あらかじめ一時停止若しくは徐行したうえ左右の安全を確認し、直進車の進行を妨げないようにして進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、進路前側方への注意を欠いたまま慢然本件交差点に進入し右折しようとした過失があつた。
二、損害
訴外鉄司および原告らは以下のとおり損害を被つた。
(一)、得べかりし利益
合計 金九七二万七、六〇〇円
(イ) 臨時従業員期間の逸失利益
金二一万七、八〇〇円
亡鉄司は、大阪府立西野田工業高校定時制を中退したもので、昭和四一年九月九日から汽車製造株式会社の臨時従業員として勤務していた。同社では、正規の従業員となるには、六か月以上ほぼ一年ないし一年六か月の期間を要するので、亡鉄司も少くとも一年六か月後の昭和四三年三月一六日には正規の従業員になつていたはずである。亡鉄司の臨時従業員として稼働中の一か月の平均収入は金二三、四〇〇円であり、生活費をその四五パーセントとして控除すると、金一二、八七〇円であるから、これを基礎に事故日から一七か月間の逸失利益は、金二一七、八〇〇円(一〇〇円未満切捨)となる。
(算式)
(12,870円×12か月)+(12,870円
×4.93)
(ロ) 正規従業員期間の逸失利益
金六七八万二、九〇〇円
亡鉄司は、昭和二三年八月一九日生れであつて、正規従業員として採用される同四三年三月一六日には一九才で、定年である五五才に達するのは、昭和七八年八月一九日である。従つて、亡鉄司は、本件事故により死亡しなければ、前記会社の定年規定により、同年一二月末日まで三五年九か月間右会社に勤務し、別紙算式表支給額記載のとおりの収入が得られたはずである。そして、これから生活費として二八才まで収入の四五パーセントを、二九才以上はその三五パーセントを控除して逸失利益を算出すると、金六七八万二、九〇〇円(算式は各百円未満切捨)となる。
(ハ) 退職金
二〇五万〇、八〇〇円
亡鉄司は、右会社を退職する際には、退職金規程により退職金が支給される。同人が五五才の時の基本給は金六七、九〇〇円であり退職金の支給率により算出すると、
(67,900円×1.15×54.70)+(67,900円×1.15×7)+67,900円×1.15×2.41×5)=5,758,768円
となり、これに中間利息を控除すると、金二〇五万〇、八一九円となる。
(ニ) 再雇用後の逸失利益
金六七万六、一〇〇円
右会社では、定年後も健康不良の者を除き、全員再雇用されている。再雇用は三年でその間の収入額は、別紙算式表末尾に記載のとおりで、生活費三五パーセントを控除して逸失利益を算出すると、同表のとおり合計右金額となる。
(二)、慰藉料
原告両名 各一五〇万円
原告らには、二男二女があるが、亡鉄司はその長男で特に将来を期待し、深い愛情をもつて育ててきた。亡鉄司も大変親思いで家計が苦しいのを知るや、自ら進んで高校を中退し、働いて家計を助けていた。ところが原告らは、本件事故により突然長男を失い、その悲嘆は大きく深刻であり、かつ鉄司の収入が止絶え、長女も高校中退させて働かせなければならず、これらの精神的苦痛は甚大である。これを金銭に見積るとき、原告らに各一五〇万円を下らない。
(三)、弁護士費用
原告両名 各五〇万円
三、結論
原告らは、被告に対し、前項(一)の逸失利益の相続分各四八六万三、八〇〇円および、(二)、(三)の各損害の合計額各六八六万三、八〇〇円から前記損害填補額各一二五万(第二の四)を控除した残額各金五六一万三、八〇〇円、およびこれに対する本件損害発生の後である昭和四二年一二月二九日(本訴状送達の日の翌日)から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
一、責任原因について
被告は、本件事故車の運行供用者ではなく、また、本件事故について使用者責任もない。
(一)、本件事故車は、一九五九年式の老朽車であつて、本件事故発生の五カ月程前から殆んどその用をなさなかつたため、被告会社において全然これを使用せず、従つてこの間ガソリンを注入したこともなく、昭和四一年一〇月一日から加入を強制されていた自動車保険にも加入しておらず、それ故被告会社の従業員にもその使用を禁じていたものである。
(二)、然るに、訴外村山は、自動車整備の見習工として被告会社に雇用されてからわずか三日目にすぎぬ本件事故当日、仕事が終るや、他の従業員全員が夕食をとりに出て不在となつた後、被告会社に無断で、工場内から事故車とそのキーを持出し、途中給油して自己の下宿に持帰つた。
(三)、村山は、そのあと下宿で夕食をすませ、午後七時頃事故車に乗つて近くの堤防へ遊びに出かけ、その帰り道に互に行き来していた友人である被害者と出合い、同人を下宿に連れ帰り、午後九時すぎまで下宿の子女を交えて雑談した後、被害者から、自分を家まで事故車で送るよう求められ、これを事故車に同乗させて同人の自宅へ向う途中本件事故に遭遇したものである。
(四)、右のとおり、被告会社が村山を含む従業員に対し、かねて事実上廃車同然にしてその使用を禁止していた本件事故車を、村山において勤務時間後被告会社に無断で、私用のため持ち出して運転中、本件事故を惹起したものであり、被害者においても、前記村山との間柄からして、村山の右無断かつ私用運転の事実を知り得べき状態にあつたにもかかわらず、左記のとおり専ら私用のために村山をして事故車を運転させ、これに同乗したものである。従つて、本件事故当時被告会社は事故車の運行支配を喪失していたものであり運行供用者責任を負うべきいわれはない。又、被害者が村山の運転する事故車に同乗したのは、右のとおり専らみずからの便宜のためであり、被告の業務とは何ら関係ないものである。つまり、本件事故は村山のまつたく私用中の出来ごとであるから、これに対して被告会社が、使用者責任を負うべき理由もない。
二、損害について
(一)、被害者は、昭和三九年一二月から、昭和四一年九月九日訴外汽車製造株式会社の臨時工になるまでの一年九ケ月足らずの間に三回も職を変えており、右会社においても臨時工から更に正規従業員になる蓋然性はきわめて乏しい。
(二)、相続人である原告らの余命年数経過後の被相続人(被害者)の逸失利益についてまで、これを相続することを前提として損害額を算出するのは不当である。
第四 証拠<省略>
第五 争点に対する判断
一、被告の運行供用者責任について
(一)、被告会社が、本件事故車を所有していたことは、当事者間に争いがなく、一般的・抽象的には、事故車の運行支配と運行利益は被告会社に帰属していたものと認められる。従つて、被告会社において、具体的に、本件事故当時事故車の運行支配と運行利益とを喪失していたと認めるべき特段の事情を主張立証し得ないかぎり、被告会社の運行供用者としての責任を肯定せざるを得ない。
(二)、ところで、前記村山が、本件事故当日事故車に乗つて同人の下宿先に帰つた後、これに被害者を同乗させて出向いた際、本件事故が発生したことは<証拠>によつて明らかである。
そこで、まず「本件事故車は、老朽車で、被告会社において、すでに廃車にする意思で、事故の五ケ月程前から使用しておらず、ガソリンも注入していなかつたので、被告会社は、本件事故当時、事故車をその用法に従つて使用することを得なかつたものでありその保有者たる地位を喪失していた」旨の被告の主張について検討する。<証拠>を綜合すると、事故車は五九年式旧型ホンダベンリー号で、本件事故の一年位前に自動車修理業を営む被告会社(修理工四名、事務員三名)が中古車としで購入し、従業員が部品購入に出向く際などにその営業の用に供していたものであるところ、本件事故の二ケ月ほど前の昭和四一年七月頃から、エンジンの調子が悪く修理費がかさむため、廃車処分にする予定で、その手続未了のまま工場の片隅に放置され、又同年一〇月からは自賠責保険への強制加入該当車になつたが、その手続もなされず、村山を除く被告会社の従業員もその使用を禁じられていたこと、しかしながら事故車の鍵はなお他の車両のそれと共に修理工らがしばしば出入する被告会社事務所内の机の引出に入れられて保管されており、村山において事故当日の午後五時三〇分過ぎごろ右鍵を使用して事故車を持ち出し、同日午後六時過ぎごろまで運転して被告会社の肩書地から、同人の下宿先である大阪市福島区江成町一四八番地有重みよ方まで帰着していることが認められる。右事実からすると、本件事故車が、事故当時相当程度老朽化していたことは認められるけれども、現に村山において右のとおり大修繕を施す程の時間的余裕もないうちに同人の下宿先までこれを運転して帰つていること、かように使用可能であればこそその使用を禁止することに意味があつたと思料されることに鑑み、なお少くとも多少の補修によつて運行の用に供し得る状態にあつたものといわざるを得ない。右認定を超えて、他に被告が事故車の保有者としての地位を離脱していたものと認めるに足る証拠はなく、被告の右主張は採用の限りでない。
(三)、次に、被告主張の、村山の無断運転による運行支配喪失の点について審究する。
<証拠>によると、村山はかつて自動車の自家整備工場で整備工として働き、軽免許を保有して軽自動車などの運転もできたこと、そして同人は、本件事故の三日前に被告会社に自動車整備の見習工として雇用され、被告会社の被傭者であつたこと、同人は事故当日仕事が終り同僚の従業員らが夕食に出払つた後、被告会社の専務取締役である酒井近衛が、かねて事故車類の鍵を保管しておいた前記事務室の机の引出しから事故車の鍵を、被告会社に無断で持出して、先に認定したとおり、使用を禁じられたまま放置されていた事故車を、下宿に持帰つたことが認められる。
右事実からすると、村山が事故車を無断で持帰つたとは言つても、同人は被告会社の従業員であり、かつこれを、通勤あるいは遊びに使用したのち、事故がなければ当然その翌朝には被告会社に返還するつもりであつたことが推認され、これに反する証拠はない。
そうすると、本件事故車の右無断運転は、時間が短く、返還が予定されているなどの事情から、いまだ被告会社の事故車に対する一般的な支配の延長上に存するものと見るべきであり、これにより被告会社が事故車の運行に対して有していた前記一般的な運行支配を喪失していたものと認めることはできない。
(四)、次に被告会社の、「被害者は、本件事故車が右のごとく村山において被告会社に無断で持出したものであることを知り得べき状態にあつたにもかかわらず、村山に自宅まで送つてくれと要求し、もつぱら自己の便宜のために事故車に同乗したものである」旨の主張について検討する。
かような無償好意同乗の場合には、同乗した被害者自身が、事故車の運行に関与した限りにおいて、本来の保有者との関係で(すなわち、右同乗者が車外の第三者に対して、自ら運行供用者としての責任を負担するか否かは別として)、保有者の有する一般的な運行支配を相対的に排斥し、事故車を専ら自己の為に運行の用に供するものとしての地位を取得することにより、当該自動車の運行にともない発生した事故において、本来の保有者に対して、その保有者責任を追求しうる被害者としての立場、すなわち自賠法三条にいう他人性を阻却されるに至る場合もありうると解せられる。
ところで、<証拠>を総合すると、以下の諸事実を認めることができる。
(イ)、村山は前項認定のごとく事故車を無断で持出して、これに乗つて事故当日の午後六時過ごろ下宿に帰り、夕食をすませたのち、再び事故車に乗つて遊びに出かけた。その途中で同人は被害者(亡鉄司)と会い、一度被害者の家に寄り、被害者が夕食を済ませたあと、また事故車に同人を同乗させて遊びに出た。
(ロ)、同人らは、同日午後九時ごろ村山の下宿に至り、一緒にテレビを見たり雑談したりしたのち、被害者が帰宅する際に及び、同人が村山に対し、村山の下宿から単車で五、六分程度のところにある自宅まで事故車で送つてくれとたのんだところ、村山は、「一人で帰れや」とこれを断り、しばらく送れ、送らぬとやりとりしたが、結局村山が被害者を送つて行くことになり、また事故車に二人乗りして下宿を出た。
(ハ)、村山は、これまでも単車に乗つていたことはあつたが、単車を持つておらず、通勤は電車を利用し、下宿へ単車に乗つて帰つて来たのは、この日が初めてであつた。
(ニ)、村山と被害者とは、村山の下宿の娘を通じて知り合い、大阪府立西野田工業高校の夜間部の同級生で、始終顔を合わせている親しい友人同志であつた。
右認定の事実からすると、被害者は、本件事故車が村山のものでないことを了知してこれに同乗したことを推測することができる。
しかしながら、当時村山が、前記認定のごとく、新しい会社に勤めた直後であつたこと、事故当日が村山において事故車を持ち帰つた最初の日であつたこと、などを考え合わせると、さらに進んで、被害者が、村山において本件事故車を前記認定のとおり被告会社に無断で持帰つたものであることをも知り、またはこれを知りうべき状況にあつたものとまでは推認し難く、また被害者が、村山に送つてもらうについての両人間の問答にしても、右認定の両人間の友好関係などからして、被害者がいやがる村山の意思を制圧し、同人に対し服従を余儀なくさせる程のものであつたとは認め難く、仲のよい友人同志の会話として理解するのが相当である。
そうすると、被害者は、事故車の運行が保有者である被告会社の管理と利益に反することを知りながら、あるいはこれを知りうべき状況の下に敢えて事故車に同乗したものではなく、従つて被告会社が事故車に対して有する一般的な運行支配を自らとの関係で相対的に排斥しかつ本件事故時の事故車の運行について、被告会社との関係において、被害者自身が専らこれを運行の用に供する者としての地位を有していたとは到底認められない。被害者は単なる同乗者で自賠法三条の他人にあたるものというべきである。
(五)、要するに本件事故に至るまでに被告会社が事故車に対する運行支配を喪失していたとの、また被害者が自賠法三条にいう他人性を喪失していたとの被告の主張はいずれも理由がなく、結局被告会社は運行供用者として原告らに対し本件事故から生じた後記損害を賠償する義務がある。
二、損害額について
(一) 被害者(鉄司)の得べかりし利益
<証拠>によれば以下の事実が認められる。
(イ)、鉄司は昭和二三年八月一九日原告らの長男として生れ(事故当時一八才)、中学卒業後昭和三九年四月に大阪府立西野田工業高等学校定時制課程に入学し、しばらくして退学した。
(ロ) 同人は通常の健康状態にあり中学卒業後父親の勤務する大進ドラム株式会社に勤めたが、一年半程で退職し、次に母親の弟が経営する製菓問屋に住込みで勤めたが、これもやがて退職し、一週間程家にいた後、訴外汽車製造株式会社の募集に応募して、昭和四一年九月九日から同社大阪製造所に臨時工員として就職した。
(ハ)、同人は、その後本件事故当日まで右訴外会社で一九日間働き、本給(日給制)として一万三、五八五円、時間外手当(三三時間分)として四、二一四円、合計一万七、七九九円を支給されていた。
(ニ)、右訴外会社においては当時右程度の時間外勤務はごく普通の状態であつた。
右事実によれば、逸失利益計算の基礎として、本件事故当時における鉄司の平均収入を認定するについては、時間外手当をもこれに含めるのが相当であり、これによれば、一日平均収入は、九三六円余となり、一ケ月に少くとも二五日は稼働するものとして、その平均月収は二万三、四〇〇円(一〇〇円未満切捨て)であつたと認められる。
ところで、原告らは、鉄司は右訴外会社において少くとも一年六ケ月後には正規従業員に登用され、規定の賃金を支給され以後同社昇給規定により昇給を続け定年退職に際しては退職金を受取り、なお再雇傭されて規定の賃金を支給されるものとしてその逸失利益を計算すべきことを主張する。
そして<証拠>によれば、訴外会社には、原告主張のとおりの規定ならびに慣行が存在することが認められる。
しかしながら、前記認定のとおり、鉄司は訴外会社に、僅か一九日間臨時工員として勤務したにすぎず、又高校中退後二回も転職していたりする者で、一方、証人一官敬昌の証言によれば、訴外会社において臨時従業員から正規従業員になつて定着する者は、その五、六割にすぎないことが認められるので、結局これらを考え合わせると、仮に鉄司が、訴外会社に永く勤務するつもりであつたとしても、原告主張にかかる昇給、退職金、あるいは再雇用後の収入は十分に蓋然性あるものとは認め難く、同人の逸失利益を算定するにあたりこれらを直接に考慮することは、いずれも相当でないと言わなければならない。
従つて、鉄司の逸失利益算定については、月収として前記二万三、四〇〇円を基礎とするのが相当であり、一方、前記認定のごとく鉄司は事故当時満一八才で通常の健康体であつたのであるから、以後少くとも四二年間(六〇才迄)は右収入を得ることができたものと推認され、又同人の生活費は、右全期間を通じて平均すると収入の二分の一を越えなかつたものと認めるのが相当である。従つて、その逸失利益の、本件事故時における現価を、年ごとホフマン方式で年五分の割合による中間利息を控除して算出すると三一〇万円(一〇万円未満切捨)となる。
(算式)
23,400円×0.5×12×22.2930
=3,129,937円
ところで被告は、右逸失利益の算定について、相続人の余命年数経過後の期間を考慮に入れることは不当である旨抗争する。
けれども、これを原告ら自身の扶養請求権の喪失による損害として構成するのであれば格別、被害者鉄司の死亡による同人の損害賠償債権全額を原告らが相続により取得したものとみるのであるから相続人の年令など関係なく、原告らの余命年数によつてこれが制限を受けるべきものでないことは明らかであり、被告の右主張は採用の限りでない。
(二) 慰藉料
<証拠>によれば、原告らが慰藉料算定の基礎として主張する事実はこれを認めることができるところ、原告らの長男鉄司を失つた悲嘆はまことに想像に余りあるものがあると言うべきである。
しかしながら、一方、前記認定のように、本件事故は、鉄司自身において、事故車が友人村山の所有でないことを知りながら、しかもこれから就寝しようとする村山に同人の下宿から自宅まで事故車で送つてくれと依頼し、その好意によりこれに同乗して自宅に帰る途中起つた事故であり、さらに原告本人尋問の結果によれば、右村山までも本件事故のために死亡したことが認められる。これらの諸般の事情を考慮すると、本件事故により鉄司を失つたことによる原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、原告両名につき各五〇万円をもつて相当とする。
(三)、弁護士費用
以上のとおり、原告らは被告らに対してその損害の賠償を請求し得るものであるところ、<証拠>を総合すれば、被告は原告らの請求に応ぜず、ために、原告らは弁護士である本件原告ら訴訟代理人に本訴の提起とその追行を依頼し、着手金として各一五万円、謝礼金として取得額の一〇分の一を各支払うことを約したことが認められる。これを本件事案の内容、審理の経過、認容すべき損害額等に照らすと、本件事故による損害として被告において負担すべき弁護士費用は、原告両名につき各一〇万円と認めるのが相当である。
第六 結論
被告は、原告両名に対し、前記第五の二の(一)の逸失利益の相続分、各一五五万円および同(二)、(三)の各損害の合計額各計二一五万円から前記第二の四の損害填補額各一二五万円を控除した残金各九〇万円および右金員に対する本件各損害発生の後である昭和四二年一二月二九日(訴状送達の日の翌日)から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わねばならない。訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用する。(藤本清 中村行雄 小田耕治)